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マナって?
まなひなのヒナは、ポリネシア神話の月と癒しの女神です。では、マナは・・?

ハワイやニュージーランドのポリネシアに共通して伝わる概念で、万物に宿る超自然的なエネルギーと言われ、生命力とも訳されます。古代ハワイやNZ先住民のマオリ族の間では、鉱物、輝石や植物はもちろん、土地や森にもマナが宿ると信じられてきました。

王族や酋長などの立場の人には、平民よりも大きなマナがあり人に与えることも出来たそうです。また、古代ハワイにはカフナと呼ばれた神官のような存在があり、マナを使って病気を治したり呪術を操ったりしていました。

私は2005年2月、ハワイにてマナを司るハイスピリットとのご縁結びをしていただきました。これは、イメージ的には、ハイスピリットの管理する無限のマナを湛えたダムから私がマナを引いて来れるように、太いパイプを作って通してもらったという感じです。

マナは自分で作り出すものではありません。私の手から眉間から出るマナは、私自身のものではなく、計り知れない大いなる存在からの贈り物だと思っています。

マナ、マナセラピーについて詳しくはこちらをご覧ください。manatherapy.com
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胸が震える瞬間

マナセラピーと出会って、
心が震える瞬間というものをよく経験させてもらえるようになった。

あたたかいさざめきがキラキラと胸に広がって、
幸福感の中で自然と感謝の涙がこぼれるような。

それは、いつも突然にやってくる。

最初のそれも、突然だった。


ある日、機関車に乗っているときに、ふと前に座っている人の
浮腫んだ足が目に入って、反射的にマナマナしてしまい

あぁ、相手に無断でマナを送るのはマナハラやったかなぁ、
でも明らかに辛そうでこれは善意やし、
あぁ、でも待って、本当に善意だけ?
善行で徳を積んでって、要するに自分のためにやってない?
あぁ、そうかも。
マナマナしたら自分のエネルギーも強まるし、とか思ってたかも

なんて一瞬のうちに色々考えを巡らせてしまって
いやなループに入りかけたそのとき、

目線は明らかに足だったはずなのに、なぜかその瞬間
その足の持ち主と目が合っていて、
その人の、この世のものとは思えないような慈愛に満ちた笑顔を見て

自分の中の、愛を確信した。確信させてもらった。


大丈夫だと、愛だけがそこに届いていると、
その一点の曇りも無い笑顔が教えてくれていた。



自分を信じよう。
自分の中の愛を信じよう。

自分が、愛に満ちた存在だということを思い出そう。



再び目を逸らして、マナマナを続けたけど、
涙が溢れてしょうがなくて、かなりおかしな奴だったと思う。

いつまでも涙が止まらなかった。
いつまでもその幸福感を感じていたかった。


こんな喜びを忘れて、人と競ったり勝ったりすることが
喜びなのだと思い込んでいたのはなぜなんだろう。

胸が震える瞬間ってこういうことなんだ、と
思い出せたことが嬉しくて、また泣いてしまった。


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私たちは皆、根っこで繋がっている

NZに戻ってきてから、マナワークをする機会が減ってしまって寂しかったので、インターネットで希望者を募って、遠隔マナヒーリングの練習をやってみている。

ヒーリングを受けていただき、感想のコメントをいただく。マナセラピー仲間やその知り合いに向けてマナマナ(遠隔マナのこと)したことはあるかど、マナセラピーをまったく知らない人を対象にすることも、受けてみた感想を詳しく教えてもらうこともあまりなかったので、とても勉強になっている。

今日、繋がっているってどんな感じ?という質問をいただいた。私が「まったく面識のない方なのにちゃんと繋がることに感激」と書いたからなんだけども。

私たちは皆、根っこで繋がっている。「根っこで繋がっている」でGoogleで検索をかけてみたら、自分のもう一個のブログ「まなひなNZ(旧ふなまなひな)が3番目にヒットしてびっくりした。そこからの引用。

マナマナしてあげたい人が目の前にいない場合は、遠隔でマナを送ることが出来る。マナに距離は関係ない。私達の体は地球に根を張っていて、その根が人類全員と繋がっている。その根を通してマナを送るので、間に海があっても関係ない。そんなイメージ。

去年の8月25日にこの文章を書いたときからすると、目の前の人にマナを送るイメージはずいぶん進歩した。その延長で、そこにいない人にも送れているという感じはだいぶ強まってきている。

でも、言葉にしようとしたとたんに、自信がなくなる。言葉に出来ないから、何をどうしてそれが出来ているのか自分でも分からないから、果たしてそれが本当に出来ているのか不安になってしまう。

今回も、説明しようとして気がついた。繋がった~と思ったときって何やってたんだっけ?繋げようと何かする必要はなかったんだった。すでに繋がっていて、それを感じるかどうかだけのことだった。手や眉間から何か出すわけでもなく、ただ感じるだけ。強いて言えば、ちょっとチューニングを合わせるだけだ。

チューニングを合わせるためにすべきことも言葉には出来ない(それにはもっと経験がいりそう)。ただ、すでに繋がっていることを思っていればいいと思う。感じても感じなくても繋がっていることに差はない。持っている世界観が違うだけだ。事実は違わない。見え方が違うだけだ。

根っこで繋がっている、ということをはっきり意識して大きく世界観がシフトしたのは、私の場合、シャワーを浴びているときだった。そのときのことは、また今度。


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